こんにちは、NIMOです。2024年6月12日、上方落語界の重鎮である桂ざこば(かつら ざこば)さんが喘息のため76歳で亡くなりました。人情味あふれる芸風で多くのファンに愛された桂ざこばさんの死去は、落語界のみならず多くの人々に衝撃を与えています。
桂ざこばさん死去 人情味あふれる芸風で人気の落語家
桂ざこばさんが喘息のため76歳で亡くなりました。古典落語を得意とし、米朝事務所に所属していました。
喘息のため76歳で逝去
所属する米朝事務所によると、桂ざこばさんは2024年6月12日午前3時14分、喘息のため自宅で亡くなったとのことです。生前から喘息を患っていた桂ざこばさんでしたが、定期的な治療と管理により落語家としての活動を続けてこられました。しかし今回、急性増悪により帰らぬ人となってしまいました。76歳という年齢を考えると、まだまだ現役で活躍できるはずでしたが、残念ながらその命運は尽きてしまったようです。
米朝事務所に所属、古典落語を得意とする
桂ざこばさんは、上方落語界の大御所である桂米朝(かつら べいちょう)さんが主宰する米朝事務所に所属していました。桂米朝さんの直弟子として、その芸風を直接学んだざこばさんは、特に古典落語の演目を得意としていました。人情味あふれる語り口と、親しみやすいキャラクターで、多くの聴衆を魅了してきました。米朝事務所を代表する看板弟子の一人として、上方落語の発展に多大な貢献を果たしてきたと言えるでしょう。
桂ざこばさんのプロフィール
ここでは、桂ざこばさんのプロフィールについて詳しく見ていきましょう。大阪生まれの桂ざこばさんは、16歳で桂米朝さんに弟子入りし、二代目桂ざこばを襲名しました。
1947年大阪生まれ、1963年桂米朝に弟子入り
桂ざこばさんは、1947年に大阪市で生まれました。中学校卒業後の1963年、当時16歳の若さで三代目桂米朝さんに弟子入りしました。桂米朝さんは当時、上方落語界の第一人者として名を馳せていた存在です。その門下に入ることができたことは、若き桂ざこばさんにとって大きな誉れであったことでしょう。
朝丸から二代目桂ざこばを襲名
桂ざこばさんは、桂米朝さんの元で修業に励み、1965年に「桂朝丸(かつら ちょうまる)」として初高座を踏みました。以降、持ち前のセンスと努力により着実に力をつけ、落語家としての地位を確立していきます。そして1988年、二代目桂ざこばを襲名し、真打ちへの道を歩み始めました。「ざこば」の名は、一代目桂ざこばさんから受け継いだもので、上方落語界では由緒ある高座名の一つとされています。
桂ざこばさんの落語家としての活躍
桂ざこばさんは、やんちゃで朴とつとしたキャラクターで人気を博しました。ラジオやテレビのバラエティ番組でも活躍し、落語以外の分野でも才能を発揮しました。
やんちゃで朴とつとしたキャラクターで人気に
桂ざこばさんの魅力は、何と言ってもそのキャラクターにありました。高座の上では、やんちゃで朴とつとした語り口が印象的で、聴衆の心をがっちりとつかんでいました。演目の中のセリフ回しも巧みで、登場人物の心情を巧みに表現し、聴衆を物語の世界に引き込んでいきます。また、桂ざこばさん自身の人柄も、落語の中に滲み出ているようで、人情味あふれる芸風は多くのファンを獲得しました。
ラジオ・テレビのバラエティ番組でも活躍
桂ざこばさんは、落語家としてだけでなく、ラジオやテレビのバラエティ番組でも活躍しました。持ち前の明るいキャラクターと軽妙なトークで、番組を盛り上げる存在として欠かせない存在でした。特に、関西地区で放送されている番組には欠かせない出演者の一人で、長年に渡って活躍し続けてきました。落語以外の分野でも、その才能を発揮し、多くの人々に愛された存在だったと言えるでしょう。
晩年の桂ざこばさん
晩年の桂ざこばさんは、2017年に脳梗塞で入院するも見事に高座に復帰。2024年4月には弟子の襲名披露にも元気な姿を見せていました。
2017年に脳梗塞で入院するも高座に復帰
桂ざこばさんは、2017年に脳梗塞で入院するという大きな病気を経験しました。しかし、リハビリに励み、見事に高座に復帰を果たしました。病気を乗り越えて再び高座に立つ姿は、多くのファンに感動を与えました。落語家としての情熱と、生きることへの強い意志を感じさせるエピソードだったと言えるでしょう。
2024年4月、弟子の襲名披露に元気な姿
そして2024年4月、桂ざこばさんは弟子の襲名披露の会に出席しました。その時の様子は、とても元気そうで、弟子の晴れの日を心から喜んでいる姿が印象的でした。会見では、弟子たちへの期待と、落語家としての心構えについて語っていました。まさか、その2ヶ月後に天寿を全うするとは、誰も予想だにしなかったことでしょう。
弟子・桂米團治さんが追悼コメント
桂ざこばさんの愛弟子である桂米團治(かつら よねだんじ)さんが、幼少期の思い出と兄弟子としての絆を語ってくれました。また、師匠から学んだ"情"に溢れる芸風を受け継ぐ決意を述べました。
幼少期の思い出と、兄弟子としての絆
桂米團治さんは、幼少期から桂ざこばさんと交流があり、まるで本当の兄のように慕っていたそうです。桂米朝師匠の長男でありながら、弟子が住み込んでいたため、家には常に「お兄ちゃん」の存在があり、中でも桂ざこばさんとは特に強い絆で結ばれていました。落語家になってからも、桂米團治さんの考え方がおかしいと思った時は、桂ざこばさんが容赦なく叱ってくれたそうです。何事にも一生懸命に取り組む桂ざこばさんの姿勢から多くを学んだと語っています。
"情"に溢れる芸風を受け継ぐ決意
桂米團治さんは、桂ざこばさんから学んだ最も大切なことは、"情"だと言います。桂ざこばさんの芸風は、人情味に溢れ、登場人物たちへの深い愛情を感じさせるものでした。桂米團治さん自身、まだ及ばない部分も多いと謙遜しつつ、その芸風を受け継ぎ、磨きをかけていく決意を新たにしているようです。師匠から学んだ芸や心意気を胸に、これからも精進を重ねていく覚悟が伝わってきます。桂米團治さんは「四天王の次世代の俊英」とも評される実力派。桂ざこばさんの遺志を継ぎ、上方落語界をリードしていく存在として、今後ますますの活躍が期待されています。
通夜・葬儀は家族葬、追ってお別れの会開催へ
桂ざこばさんの通夜・葬儀は故人の意向により家族葬で行われます。後日、ファンや関係者を含めたお別れの会が開催される予定です。米朝事務所によると、桂ざこばさんの通夜・葬儀は故人の意向により、家族のみで執り行われるとのことです。ファンや関係者を含めた大勢の参列は見送られますが、後日改めてお別れの会が開催される予定だそうです。
桂ざこばさんを慕う多くの人々にとって、最後のお別れをする機会となるでしょう。師匠の思いを胸に刻み、その遺志を受け継ぐ弟子たちの姿を見守りたいと思います。
まとめ:桂ざこば、喘息で死去 人情味あふれる芸風で人気の落語家
桂ざこばさんは喘息のため76歳でこの世を去りました。古典落語を得意とし、人情味あふれる芸風で多くのファンに愛された落語家でした。その遺志は弟子たちに受け継がれていくでしょう。
桂ざこばさんは、76年の生涯を閉じました。しかし、その芸風と人柄は、多くの人々の心に深く刻まれています。弟子たちへ受け継がれた桂ざこばさんの魂は、上方落語の世界で脈々と受け継がれていくことでしょう。
桂ざこばさんの死を悼みつつも、その遺志を継ぎ、上方落語の発展に尽力する後進の活躍に期待したいと思います。
桂ざこばさんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。