赤塚真人さん死去 「男はつらいよ」「幸福の黄色いハンカチ」出演 茨城で干し芋農家の傍ら俳優業

こんにちは、NIMOです。2024年7月4日、俳優の赤塚真人(あかつか まこと)さんが73歳で亡くなりました。赤塚真人さんは「男はつらいよ(おとこはつらいよ)」シリーズや「幸福の黄色いハンカチ(しあわせのきいろいハンカチ)」など、数多くの名作に出演した名バイプレイヤーとして知られています。晩年は故郷の茨城県で干し芋農家を営みながら、俳優業も続けていました。

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【訃報】赤塚真人さん死去 食道がんで73歳

赤塚真人さんが2024年7月4日、食道がんのため73歳で亡くなりました。最期は茨城県内の医療施設で家族と劇団関係者に看取られ、静かに息を引き取ったそうです。

渥美清に憧れ俳優に

赤塚真人さんは、茨城県日立市出身。「男はつらいよ」シリーズで主演を務めた渥美清(あつみ きよし)さんに憧れ、俳優を志すようになりました。1967年、映画「でっかい太陽(でっかいたいよう)」で本格デビューを果たし、以降、数多くの作品に出演しました。

最期は家族と劇団関係者に看取られる

赤塚真人さんは晩年、食道がんを患っていました。昨年は舞台を休演するなど、体調不良が続いていたようです。最期は茨城県内の医療施設で家族と、赤塚真人さんが座長を務める劇団「裏長屋マンションズ(うらながやマンションズ)」の関係者に看取られ、静かに息を引き取ったとのことです。

代表作は「男はつらいよ」「幸福の黄色いハンカチ」など

赤塚真人さんは、脇役ながら存在感のある演技で、多くの作品に欠かせない存在となりました。特に山田洋次(やまだ ようじ)監督作品の常連として知られ、「男はつらいよ」シリーズや「幸福の黄色いハンカチ」など、数多くの名作に出演しました。

名バイプレイヤーとして活躍

映画では「たそがれ清兵衛(たそがれせいべえ)」、「武士の一分(ぶしのいちぶん)」、「母べえ(かあべえ)」など、ドラマでは「水戸黄門(みとこうもん)」、「三匹が斬る!(さんびきがきる)」、「暴れん坊将軍(あばれんぼうしょうぐん)」、「鬼平犯科帳(おにへいはんかちょう)」、「仮面ライダーBLACK RX(かめんライダーブラック アールエックス)」、「3年B組金八先生(さんねんビーぐみ きんぱちせんせい)」、「科捜研の女(かそうけんのおんな)」、「相棒(あいぼう)」など、幅広いジャンルで活躍しました。

山田洋次監督作品の常連に

特に、赤塚さんは山田洋次監督の作品には欠かせない存在でした。1976年の「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」で初めて「男はつらいよ」シリーズに出演して以来、「幸福の黄色いハンカチ」など、山田監督の作品の常連となりました。山田監督は赤塚さんの訃報に際し、手紙を送ったそうです。

晩年は茨城で干し芋農家を営む

2019年、赤塚真人さんは「農業をしたい」と茨城県行方市に移住しました。実家は農家だったこともあり、赤塚真人さんは以前から農業に興味を持っていたそうです。移住後は、干し芋農家を手伝いながら、農業の勉強を重ねていました。

故郷に移住し農業を開始

赤塚真人さんは2019年、「農業をしたい」と茨城県行方市に移住しました。実家は農家だったこともあり、赤塚真人さんは以前から農業に興味を持っていたそうです。移住後は、干し芋農家を手伝いながら、農業の勉強を重ねていました。

劇団の拠点も茨城に移す

赤塚真人さんは2002年に「劇団TA2(げきだんティエーツー)」を旗揚げし、2007年からは「劇団裏長屋マンションズ」と改名し、座長を務めていました。茨城県に移住後は、劇団の拠点も茨城に移しました。俳優業と農業の両立は大変だったようですが、赤塚真人さんは晩年まで精力的に活動していました。

「妻が買い物に行って15年帰らず」ネタで人気

赤塚真人さんは私生活でも波乱万丈な人生を送りました。

シングルファーザーとしての苦労を笑いに

赤塚真人さんは離婚した際、男女2人の子供がまだ幼く、シングルファーザーとして子育てに奮闘しました。その経験を「妻は買い物に出かけて帰らないまま15年が過ぎ去った…」などと笑いのネタにし、トーク番組などで披露していました。

「ライオンのごきげんよう」で爆笑トーク

赤塚真人さんの「妻が帰って来ない」ネタは、フジテレビ「ライオンのごきげんよう」で大ウケしました。番組に出演する度にこのネタを披露し、年間MVPや月間MVPを受賞するほどの人気ぶりでした。赤塚真人さんの明るい人柄とトーク力が視聴者を魅了したのです。

義理人情に厚い昔気質の人柄

赤塚真人さんは、義理人情に厚い昔気質の人柄で知られていました。座長として劇団をまとめ、友人のラジオにも頻繁に出演するなど、交友関係の広さでも知られていました。

劇団「裏長屋マンションズ」座長

赤塚真人さんは、2007年から劇団「裏長屋マンションズ」の座長を務めていました。座長としてメンバーをまとめ、舞台の作・演出も手掛けるなど、劇団の中心的存在でした。座員からは慕われ、信頼される座長だったようです。

友人のラジオにも頻繁に出演

赤塚真人さんは義理人情に厚い昔気質の人柄で知られていました。友人がパーソナリティを務める山形放送ラジオ「なつメロリクエスト電話でこんばんは!」(現「なつかし楽し歌謡アワー」)には、頻繁に友情出演し、爆笑トークを繰り広げていたそうです。

まとめ:赤塚真人さん死去 「男はつらいよ」「幸福の黄色いハンカチ」出演 

赤塚真人さんは、渥美清さんに憧れ俳優の道を志し、脇役ながら存在感のある演技で多くの名作を支えてきました。特に山田洋次監督作品の常連として知られ、「男はつらいよ」シリーズや「幸福の黄色いハンカチ」など、数多くの名作に出演しました。

プライベートでは、シングルファーザーとして子育てに奮闘した経験を笑いのネタにするなど、明るい人柄でも知られていました。「ライオンのごきげんよう」では、「妻が帰って来ない」ネタで大人気を博しました。

晩年は故郷の茨城県に移住し、干し芋農家を営む傍ら、劇団「裏長屋マンションズ」の座長として活動するなど、俳優業と農業の両立に励んでいました。義理人情に厚い昔気質の人柄で、友人のラジオにも頻繁に出演するなど、交友関係の広さでも知られていました。

73歳という若すぎる死は残念でなりませんが、赤塚真人さんの名演技と人柄は、多くの人の記憶に残り続けることでしょう。心よりご冥福をお祈りいたします。

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